浮世絵版画は熱や光に弱いため、常設展示を行うことはできません。そのため、当館ではほぼ毎月展示作品を入れ替え、年間を通じて企画展または特別企画展を開催しています。
なお、当館の誇る田中コレクション「木曽海道六拾九次之内」については、毎年秋頃に公開する機会を設けています。また、当館2階廊下には高精細印刷による複製画を基本的に常設展示しております。
展覧会日程の詳細につきましては、年間スケジュールをご確認ください。
田中コレクションについて
田中コレクションは、恵那市の実業家・田中春雄氏(1919〜2012)が「木曽街道(中山道)」と「歌川広重」を二大テーマとし、約30年の歳月をかけて収集した浮世絵のコレクションです。田中氏は、出身の三重県四日市市から恵那市に移り事業を成功させ、中山道沿いに居を構えられました。家の前を通る中山道に興味を持つうちに、歌川広重が中山道を描いた「木曽海道六拾九次之内」と出会いました。その時に経験した言葉にならないほど感動が、浮世絵収集のきっかけとなったそうです。
やがて、田中氏は「収集した浮世絵はただ自分一人だけのものではない、自分をここまで育ててくれた恵那の地に恩返しをしたい」という思いを強く持つようになります。そして、中心市街地活性化の中心となる施設を整備したいという恵那市の意向を知り、平成12年(2000)2月、500点余のコレクションを恵那市に寄贈することを決断されました 。
コレクションは、世界的に見てもレベルの高い揃物と評される「木曽海道六拾九次之内」をはじめ、「東海道五十三次之内(行書東海道)」「京都名所之内」「浪花名所図会」など質の高い広重の風景画が中心です。さらに名品「魚づくし」や、広重と共に幕末の浮世絵界を彩った歌川国芳による「木曽街道六十九次之内」、中山道について記した版本類なども含まれます。
「木曽海道六拾九次之内」について
「木曽海道六拾九次之内」は、起点・日本橋と木曽街道(中山道の異称)69宿を主題とする、70枚揃の風景画シリーズです。出版には、二人の絵師と3軒の版元(地本問屋)が関わっています。
作画を手掛けたのは、渓斎英泉(寛政2~嘉永元年/1791-1848)と歌川広重(寛政9~安政5年/1797-1858)という、共に江戸時代後期に活躍した二人の浮世絵師。天保6年(1835)頃より英泉の作画によって制作が開始されるも、24図を描いた後、同7年以降に広重へ作画が引き継がれました。広重は46宿を担当しましたが、「中津川」は2種の版(雨・晴)が存在するため、図柄としては計47図描いています。2種の「中津川」のうち、「雨の中津川」と称される雨景の図がより早い時期の制作と考えられており、現存数が世界で十数点と極めて少ないため、当館コレクションの中でも特に貴重な一品です。
また、当初は、広重の出世作として名高い「東海道五拾三次之内」(通称、保永堂版)の版元・保永堂(竹内孫八)より企画・出版されましたが、絵師交代と同時期に錦樹堂(伊勢屋利兵衛)と共同出版を行った後、錦樹堂の単独出版で完結へと至りました。さらにその後、錦橋堂(山田屋庄次郎)に版権が移り、再版されました。
「木曽海道六拾九次之内」は、上記のような複雑な経緯の中で長きにわたり出版され続けました。絵師・版元交代の事情など明らかになっていない点も多く、特殊な出版背景にも注目の集まる作品です。しかし、中山道をたどる原風景は穏やかな情趣に満ちており、天保年間(1830-44)以降に数多く出版された浮世絵風景画の中でも、特に優れた作品の一つであるといえるでしょう。
吉村コレクションについて
恵那市内の旧家に生まれ、名古屋市の眼科医の元に嫁いだ吉村トシ子氏(1920~2001)は、美術に造詣が深く、夫の故・吉村善郎氏と共に、多くの美術品を収集されていました。
吉村氏は2000年10月、故郷・恵那に美術館が建設されることを知り、「文化、芸術は人の心を豊かにし、豊かな心から文化、芸術が生まれる。優れた芸術作品は、人類共有の宝」という思いから、自らの愛した美術品を郷里の美術館へ寄贈するという意向を持つようになり、翌年、美術館の開館を前に、美術品全46点と美術品購入のための多額の資金を恵那市に寄贈されました。
吉村氏から寄贈された作品は、鏑木清方や伊藤深水の日本画、荻須高徳、ルオー、マリー・ローランサンの洋画、ガレ、ドームのガラス工芸、加藤唐九郎や浜田庄司の茶陶等多岐に渡ります。また、寄贈された資金で購入した歌川広重の浮世絵作品と合わせ、これらを「吉村コレクション」と呼び、当館の貴重な作品資料として収蔵しています。